ごあいさつ



自分の青春時代によく聞いた歌を耳にすると、その当時のことを懐かしく思い出すことがあります。子供の頃、我が家も純和風民家でした。土間があって、階段が高くて、障子で部屋が区切られていて、使い勝手が悪くて、冬はすきま風が通るわが家。 居間には囲炉裏があり、それを囲んで父母は天気や漁の話し、祖父、祖母は畑や昔の面白い話、子供たちは学校の話しと会話が弾んだ一家団欒の思い出があります。そんな懐かしい思い出の家を再現できたら…。
いまご荘「櫂の詩(かいのうた)」を訪れたお客様が昔風のたたずまいをみて私のように懐かしく感じて、くつろいでもらえたら嬉しく思います。

時は江戸時代、今子浦は出石藩領の港として栄え、北国船、千石船が数多く入港していました。出石藩に仕えていた田嶋家のご先祖は入港船の検閲の仕事のためこの地を訪れ定住いたしました。
入港船の多くは花香る4.5.6月に集中し、東風に帆を張って今子浦東側にそびえる「びしゃご島」をかすめて入港して来ました。何隻もの船が碇を下ろし小舟に乗り換え、岸に向かう櫓櫂(ろかい)の音は(ぐぅーいーけぇー)(ぐぅーいーけぇー)と島々に反射し、まるで櫓櫂の羽音に聞こえた事と思います。




以来3世紀、田嶋家はこの地で暮して現在に至っています。時代につれて武士から刀鍛冶、半農半漁、漁業、民宿、旅館と家業は変わりましたが、この地での田嶋家の生活は常に櫓櫂の羽音が聞こえていたと思います。また江戸の昔、今子の港が繁盛していた事にあやかり、いまご荘もたくさんの人で賑わってほしいという期待をこめて、「櫂の詩」と命名いたしました。 おもてなしの心を大切に、お客さま、地域の皆様にも親しまれる宿として精進する所存でございます。何卒今後も変わらぬお引き立てを賜りますようお願い申し上げます。

いまご荘 櫂の詩主人
田嶋 豊久